LOGIN宝石のように輝く、無数の料理たち。
黒いスレート皿の上で、フォアグラと琥珀色のイチジクが金色のピックに刺さり、キャンドルの光を吸い込んで艶やかに光っている。 焼きたてのバゲットの上には、彩り豊かな野菜のムースや、新鮮な魚介が踊るように盛り付けられている。 そして、それらの隙間を埋め尽くすのは、瑞々しいアイビーの深緑と、紫陽花の鮮烈な青や紫。 まるで、テーブルの上に小さな森が出現したかのような、圧倒的な生命力と美しさだった。「おお……!」「なんて美しいんだ……」 ゲストたちの間から、ため息のような感嘆の声が漏れる。 本来なら「料理が間に合わなかった」という致命的な失態であるはずの光景が、今は「計算され尽くした演出」として、驚きを持って受け入れられている。「どうぞ、お手に取ってご覧ください。……私の婚約者が、皆様のために心を込めてコーディネートいたしました」 湊が、会場の隅に控えていた私に向かって、ゆっくりと手を差し伸べた。 スポットライトが動き、私を照らし出す。 エプロンはもう外した。髪の乱れも直した。 私は深く息を吸い込み、完璧な「淑女の微笑み」を唇に乗せて、彼のもとへと歩み出した。 心臓が早鐘を打っている。 でも、足取りは乱さない。 私は湊の隣に立ち、差し出された彼の腕にそっと手を添えた。 スーツ越しに伝わる筋肉が、岩のように硬く強張っている。彼もまた、平然とした顔の下で、ギリギリの戦いをしていたのだ。「……皆様。限られた時間ではございますが、この空間と、この瞬間を、心ゆくまでお楽しみくださいませ」 私が深く一礼すると、会場中から割れんばかりの拍手が湧き起こった。「素晴らしい! こんなお洒落な演出は初めてだ!」「コース料理だと座りっぱなしで疲れるけれど、これなら色々な方と話せるわね」「このフォアグラ、絶品だ! シャンパンによく合う!」 称賛の声が、あちこちで花開く。会場の喧騒の中、呆然と立ち尽くしている二つの影があった。 九龍剛造と、綾辻麗華だ。 剛造はグラスを持ったまま彫像のように固まり、麗華に至っては、能面のように表情を失っている。 彼女たちが描いた「九龍家の没落」というシナリオは、私の「宝石箱」によって、跡形もなく粉砕されたのだ。 ざまあみろ。 心の中で舌を出してやる。 その時。 人垣がさざ波のように割れ、一人の人物がこちらへ近づいてくるのが見えた。 コツ、コツ、と杖をつく音が、不思議なほど鮮明に響く。 九龍華枝だ。 小柄な老婆は、私の目の前でぴたりと足を止めた。 その鋭い眼光が、私を射抜くように見据える。 隣で湊が身構え、私の手を守るように握りしめたのがわかった。 華枝は何も言わず、近くのワゴンからピンチョスを一つ――スモークサーモンのバラを手に取った。 そして、ゆっくりと口に運ぶ。 長い、長い沈黙。 誰かが息を呑む音が、鼓膜を打つ。 やがて、華枝はナプキンで口元を丁寧に拭うと、私を見た。「……あり合わせの食材。庭の草花。そして、急場しのぎの演出」 淡々とした声で、事実だけが並べられる。 背筋が凍りつく。 バレている。当然だ。この人の目を誤魔化せるはずがない。 怒られるだろうか。九龍家の品位を下げたと、ここで罵られるだろうか。 けれど、華枝の口から出た言葉は、予想もしないものだった。「……だが、悪くない」「え……?」「ピンチを好機に変える機転。そして何より、客を楽しませようというもてなしの心意気。……それが、この皿の上には確かにある」 華枝の厳格な口元が、ほんの微かに緩んだように見えた。 あの「お茶会」の時と同じ。いや、それ以上に明確な、肯定の色。「度胸だけはあるようだね。……茅野朱里」「……
宝石のように輝く、無数の料理たち。 黒いスレート皿の上で、フォアグラと琥珀色のイチジクが金色のピックに刺さり、キャンドルの光を吸い込んで艶やかに光っている。 焼きたてのバゲットの上には、彩り豊かな野菜のムースや、新鮮な魚介が踊るように盛り付けられている。 そして、それらの隙間を埋め尽くすのは、瑞々しいアイビーの深緑と、紫陽花の鮮烈な青や紫。 まるで、テーブルの上に小さな森が出現したかのような、圧倒的な生命力と美しさだった。「おお……!」「なんて美しいんだ……」 ゲストたちの間から、ため息のような感嘆の声が漏れる。 本来なら「料理が間に合わなかった」という致命的な失態であるはずの光景が、今は「計算され尽くした演出」として、驚きを持って受け入れられている。「どうぞ、お手に取ってご覧ください。……私の婚約者が、皆様のために心を込めてコーディネートいたしました」 湊が、会場の隅に控えていた私に向かって、ゆっくりと手を差し伸べた。 スポットライトが動き、私を照らし出す。 エプロンはもう外した。髪の乱れも直した。 私は深く息を吸い込み、完璧な「淑女の微笑み」を唇に乗せて、彼のもとへと歩み出した。 心臓が早鐘を打っている。 でも、足取りは乱さない。 私は湊の隣に立ち、差し出された彼の腕にそっと手を添えた。 スーツ越しに伝わる筋肉が、岩のように硬く強張っている。彼もまた、平然とした顔の下で、ギリギリの戦いをしていたのだ。「……皆様。限られた時間ではございますが、この空間と、この瞬間を、心ゆくまでお楽しみくださいませ」 私が深く一礼すると、会場中から割れんばかりの拍手が湧き起こった。「素晴らしい! こんなお洒落な演出は初めてだ!」「コース料理だと座りっぱなしで疲れるけれど、これなら色々な方と話せるわね」「このフォアグラ、絶品だ! シャンパンによく合う!」 称賛の声が、あちこちで花開く。
むっとするような、雨上がりの土の匂いが鼻孔をくすぐる。 私は躊躇なく、庭師が手入れしたばかりのハーブや、色づき始めた紫陽花、そして地面を這うアイビーの蔓に手を伸ばした。 少しだけ、命を分けて。 ドレスの裾が泥で汚れるのも構わず、私は手当たり次第に「使える」植物をむしり取っていく。 指先に触れる冷たい植物の感触が、ふいに昨日の記憶を呼び覚ました。 温室で、湊に向けられた冷たい視線。『僕の目の前から消えろ』という拒絶の声。 胸の奥が、ずきりと痛む。 でも、今は感傷に浸っている場合じゃない。 彼が守ろうとしているこのホテルを、九龍家の誇りを、私が守るんだ。 それが、私ができる唯一のこと。プロとしての意地であり、彼へのせめてもの償いなのだから。 抱えきれないほどの緑と花を持ってバックヤードに戻ると、スタッフたちがぎょっとして目を丸くした。「か、茅野様、それは……?」「お皿の余白を埋めるの。料理の周りにアイビーを這わせて。紫陽花は花びらを散らして、水滴がついたままの方がフレッシュに見えるわ! ……これは『自然との調和』をテーマにした、新しいスタイルのビュッフェよ」 私の言葉に、スタッフたちが力強く頷く。 迷いは消えていた。 全員が、「この夜を成功させる」という一つの熱狂に向かって、全速力で走り出していた。 ◇ そして、その時が来た。 会場の照明が、ふっと落とされる。 ざわめきが波のように広がる中、スタッフの手によって無数のキャンドルに火が灯されていく。 揺らめく炎が、会場を柔らかく、幻想的なオレンジ色に染め上げた。 明るすぎて粗が見えてしまう蛍光灯の光ではなく、すべてを美しく、ロマンティックに包み込む夕暮れ時の光。 重厚な扉が、ゆっくりと左右に開かれる。「皆様、本日はようこそお越しくださいました」 マイクを通した湊の声が、静まり返った会場に響いた。 ステージの中央に立つ彼は、計算されたスポットライトを浴びていた
エプロンのポケットで、スマホが短く震えた。 画面には「詩織」の文字。『朱里、あんた今どこ? テレビでそのホテルの近くで事故があったってニュースやってるけど』 ――これだ。 私は祈るような指先で通話ボタンを押し、耳に当てた。「お姉ちゃん! お願い、助けて! 今すぐパンが必要なの!」『はあ? あんた何言ってんの。人が心配してる時に』「緊急事態なの。今、ホテルのパーティーでトラブルがあって、あと二十分でバゲットかクラッカーを三百人分、用意しなきゃいけないの。お姉ちゃん、区役所の産業振興課にいたでしょ? この辺りで、この時間に無理を聞いてくれる業務用卸のパン屋さん、知らない!?」 電話の向こうで、姉が息を呑む気配がした。 ほんの数秒の沈黙。だが、私の姉は優秀だ。瞬時に「呆れた姉」から「冷徹な公務員」へとモードを切り替えたのが、声のトーンでわかった。『……場所はインペリアル・ドラゴンね。あそこの裏手、桜通りの一本裏に、老舗の「ベーカリー・ミヤマ」がある。区のイベントでよく使わせてもらってる店よ。店長とは顔なじみ』「そこ! 今すぐ連絡取れる!?」『やってみる。ちょうど来週の夜間防災訓練の差し入れ用に、大量のバゲットを焼いてもらってたはず。それをそっちに回してもらうように交渉するわ。……その代わり、あとで湊さんにたっぷりと請求書回すからね』「お姉ちゃん、愛してる! 一生恩に着る!」 通話を切り、私は天を仰いで小さく拳を握った。 首の皮一枚で繋がった。 振り返り、総支配人に叫ぶ。「裏口に搬入車を回して! 十分以内に『ベーカリー・ミヤマ』から焼きたてのバゲットが届くはずよ! 到着次第、薄くスライスしてオリーブオイルを塗って!」「は、はいっ! すぐに!」 総支配人が弾かれたように走り出す。 よし、これで「食」の問題は片付いた。 次は――「空間」だ。 私は熱気のこもった厨房を飛び出し、パーティー会場へと続く廊下を走った。 ふと、窓の外に広がる闇が目に入り
そのバックヤードは、戦場というよりも、高熱に浮かされたボイラー室のようだった。 怒号と金属音、そして焦げた油の匂いが入り混じる中、私はイブニングドレスの上に業務用の白いエプロンをきつく締め直した。乱れかけた髪を一本に括り上げ、総支配人からひったくるように受け取った在庫リストを睨む。「いい、聞いて! 目指すのは『五感で味わう宝石箱』。それだけ頭に叩き込んで!」 私の声が、食器の触れ合う音を切り裂いて響く。 厨房のスタッフたちが一斉にこちらを向いた。その目には戸惑いと、わずかな期待の色が混じっている。「冷蔵庫のフォアグラのテリーヌ、残さず出して。サイコロ状にカットして、トップにはドライフルーツのイチジクを。ピックは金色のもの以外使わないで」 矢継ぎ早に指示を飛ばす。迷っている暇はない。「スモークサーモンは薔薇の花に見立てて巻くの。敷くのはクラッカーをやめて、スライスしたキュウリにして。緑とオレンジのコントラストを際立たせたいのよ」「チーズはあるだけ全部盛って。でも、ただ並べるのは無しよ。カッティングボードの上に高さを出して、立体的に積み上げて。ブドウの枝をあしらって、静物画(スティル・ライフ)みたいに見せるの」 私の言葉が具体的な作業へと変換されるにつれ、シェフたちの目の色が変わっていくのがわかった。 彼らは超一流の職人だ。何をすべきかという「設計図」さえ示せば、その腕は確かだった。バラバラに散らばっていた彼らの熱量が、私の指先一つで束ねられ、同じ方向へと走り出す。 絶望的な状況が、熱狂へと変わる予感がした。「茅野様! パンが足りません!」 パントリー担当の若いスタッフが、裏返った声を上げた。 その悲鳴で、厨房の空気が一瞬で凍りつく。「予定していたバゲットは、メイン料理の付け合わせ分しか残っていなくて……これじゃあ、全員分のピンチョスの土台(ベース)が作れません!」 血の気が引く音が聞こえた気がした。 ピンチョスパーティーにおいて、手でつまめる土台は命綱だ。それがなければ、ただ具材を皿に乗せただけの、みすぼらしい試食会になってしまう。
「……何をする気だ」「『ピンチョス・パーティー』に切り替えるの」「ピンチョス……?」「そう。今の食材で、一口サイズのアペタイザーなら無数に作れる。クラッカーにチーズとフルーツを乗せるだけ、ハムで野菜を巻くだけ、パンをカットして彩りよく並べるだけ。……これなら、火を使わなくても、高度な調理技術がなくても、スタッフ総出でやれば十五分で数百個は用意できる!」 私は周りのスタッフを見渡した。「盛り付けが勝負よ。大皿に山盛りにするんじゃなくて、鏡やアクリル板を使って、ジュエリーみたいに美しく並べるの。高さと彩りを意識して。……会場の照明を少し落として、各テーブルにキャンドルを増やして。料理の少なさを誤魔化すんじゃない、あえて『フィンガーフードを片手に会話を楽しむ、洗練された大人の夜会』という演出に変えるのよ!」 スタッフたちが、顔を見合わせた。 絶望に染まっていた彼らの目に、微かに光が宿り始める。 できるかもしれない。 いや、やるしかない。「……ふん、馬鹿馬鹿しい」 麗華が冷ややかに笑った。「そんな貧乏くさいおつまみで、舌の肥えたVIPたちが満足するとでも? 九龍家の恥の上塗りよ」「満足させます」 私は麗華を睨み返した。 「空腹は最高のスパイス、なんて言葉に甘えるつもりはありません。……演出次第で、ただのクラッカーも宝石に変わる。それが、私の仕事です」 そして、湊を見た。 彼の瞳が、揺れている。 私を信じるか、それとも拒絶するか。「……湊。あなたが選んだ女は、ただの人形じゃないんでしょ?」 私の挑発に、湊の口元が――ほんの数ミリだけ、上がった気がした。 あの、不敵な笑みの欠片。「……総支配人」 湊の声が、低く響いた。 そこにはもう、迷いも焦りもなかった。あ